私の夢はありません

シェアする

※この記事には玄川静夢個人の自分勝手な意見や主観が多分に含まれております。閲覧の際はご注意ください。

 ある日のこと。それなりに仲の良い友人から電話がかかってきました。内容を簡潔に書くと「今の仕事を辞めようと思っている。なんだか体の調子が悪い。もっと楽しい仕事をしたい」という旨の話でした。

 私からすればとるに足りない内容だったので、私は適当にウンウン頷いて話を聞いていたのです(実際、愚痴や相談という類のものは、聞き手が頷いてさえいれば、話し手は満足するものなのです)。しかしその話の途中で出てきたあるひとことに、私は少し違和感を感じたのでした。

「夢って中々見つからないものだなあ」

 いちいち話をほじくり返すのも面倒だったので、そのときは適当にウンウンいって聞き流したのですか、よくよく考えてみればおかしなセリフです。はたして夢とは頑張って見つけに行くものなのでしょうか?

スポンサーリンク

夢はないのが当たり前

 まずそもそもの疑問として、夢とは必ず持っていなければならないものなのでしょうか?

 私自身のことを話題にあげますと、高校生時代までは「数学者になりたい」というなんともな夢を持っておりまして、高校生を卒業して働き始めてから、その夢という奴は完全に忘却の彼方に行ってしまい、現在はほとんど関係のない「作詞」の世界に足を踏み込んでおります。

 子供時代の夢というのは、まさに希望的観測とでもいいますか「なれたらいいなあ」という、いわば言ったもの勝ちの、出発する保証のない路面電車みたいなもので、とりあえず言っておけば親や先生が喜ぶものですから、なにか好きなものを適当に言ってしまえという「世渡りのための半分冗談」なところがあります。高校生あたりになってくると、その冗談は徐々に本気として受け取られてしまうので、本当に本気の人以外は「適当な大学に行って……」とか「就職して……」とか、無難な選択肢を選ぶわけです。

 ところで、その「本気の人」がどれくらいいるのかというと、まあ少ないこと少ないこと。まず絶対数も少ないわけですが、その夢の道中においても、ちょっとしたことで蹴躓いたり「君には無理」と知り合いに言われたり、あるいは勝手に「現実」などという不明瞭な概念を目の当たりにしたりして、結構な人たちが「もうやーめた」と匙を投げます。結果的に無難な生活を営むか、落ちるとこまで落ちてダメになるか、開き直ってクズ人間になるか、まあそのあたりです。

 要するに、冷静になって周りを見渡してみると、夢を持っている人の方がごく少数で、その他大勢はまったくごく普通の、当たり前な生活を当たり前にやっている。そして夢を持っている人の中でもさらにごく少数の「夢を叶えた人」が「夢はいいゾー」などと無責任なことを子供たちにささやいている。世の中とはそういうものなのです。

自分探しはさっさとやめましょう

「夢はいいゾー」とおっしゃる人がいる一方、それに対抗して「でもやりたいことが見つからない」とのたまう方々もおります。

 はっきり言います。あなた方は正常です。どうかそのまま、大きな谷もなく波もない、ごく普通の幸せな毎日をお過ごしください。皮肉などではなく本気です。

 夢を持っている方が人生は楽しいと良く言われますか、理由もない毎日を理由もなく謳歌する、そういう生活が楽しいという人も中にはいるのです。「夢がないのは当たり前」と同じように「毎日の生活(人生)に理由がないのは当たり前」であるからです。

 誰かに怒られてしまいそうな話ではありますが、これは事実で、理由というのは常に、その行動をとっている人物か主観的に設ける概念であり、すべての人が平等に納得する理由なんてはじめから存在しません。

「夢を持つのはいいことだ」という言葉が「夢は楽しい」にすり替わり「夢を持たなければならない」という強迫観念に駆られ、ついには「夢を持たない人はばかだ」という根拠のない中傷にまで発展する。そうしてその中傷を真面目に受け取った人たちが、見つかりもしない「自分」をどこかに探しに行ってしまう。まったく滑稽なものです。

 とりあえずその旅行カバンは部屋の隅っこにでもおいておいて、適当に好きなことでもしましょう。その方が人生楽しいです。旅行が趣味?これは失礼しました。

夢はあつかましい

 自分の好きなことをやっているときに「でも、それは実にはならないよ」と言われると、腹が立ちませんか。私の場合なら「作詞なんてただの娯楽でしょ。なんの意味があるの?」といったところでしょうか。

「君生きてるよね?生きることそのものには何の意味もないよね?さっさと首でもくくった方がいいんじゃない?」と私なら言います。でもやっぱり恥ずかしいのでへいへい適当な返事を返します(笑)。

 なぜか夢というのは常に仰々しく、シワのないスーツのように綺麗で完璧でなければならず、追い求めることが賞賛され、しかし金銭的に問題があった場合「もっと現実を見ろ」などとヤジを飛ばされるという、なんとも理不尽な奴です。一言で言えばあつかましい。

 大多数の求める「まっとうな夢」というのがいったい何なのか、私には想像がつきかねますが、何となく突き詰めるとそれは「理想」という一言に収まってしまうのではないでしょうか。理想というのはその状態になることがないから理想というのであります。

 そんなあつかましい夢や希望なんて、私はいりません。

 そういうわけで「夢」と呼ばれるやつを見つけようという、最初の友人の言葉に違和感を感じるのです。どうしてわざわざ、他人から無駄な期待をされるようなことを自分からするのか。どうしてわざわざ無駄な荷物をたくさん背負おうとするのか。

 世間体という壁が欲しいのか、はたまた「好きなもの」という言葉を「夢」という言葉に置き換えたのか……。いずれにしても、それはそれでまた問題なのですが。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする