PR

玄川さん、就職するってよ

趣味ブログ
スポンサーリンク

はいどうも。タイトルの通り、この度就職をすることになりました。

今まではアルバイトで生計を立てており、それと並行し個人事業主として副業の動画編集をしておりました。
就職にあたり、12月末には動画編集のお仕事を終了し廃業、アルバイトの方も12月中に退職予定です。
その後1ヶ月ほど間を空けまして、来年の2月から新しい仕事を始めます。

真面目に就職をすることになった理由はいくつかありますが、今後は安定した収入が必要不可欠になるであろうこと、動画編集のお仕事をメインとしてやっていくのは難しいだろうと判断したためです。

転職自体は去年あたりからずっと考えていたことでした。
私は高卒かつ30代であり、社会生活において必要な仕事上のスキルを何一つ持ち合わせておらず、かつ社会や世の中というものに相当の不信不満を持って生きているので、一生アウトローとして生きていこうか、などと考えていました。

しかし人間とは思ったよりも相当脆いものです。収入が低いと幸福度が下がるというよくあるデータの通り、特に歳を取るにつれて気分が落ち込む頻度が随分増えたように思います。落ち込むこと自体はまあ昔からよくあったのですが。

スポンサーリンク

本業について

次の就職先についてですが、とあるショップの販売員、つまり対人系のお仕事になります。
現時点でコンビニのアルバイトをやっているので、まあその延長線上のようなものです。

世の中が嫌いなのになぜ対人系?と思われるかもしれません。
私も最近気付いたのですが、私は世の中の仕組みやルールが嫌いなだけで、(少なくとも礼儀を重んじる相手であれば)別に人間は嫌いではないようです。

まあお仕事上の付き合いだけであり、密なコミュニケーションを取るわけでもなく、接客の文句も基本定型文なので、そこまで大きな負担がかからないというのもあるかもしれません。

一応現在のアルバイト+副業の状態よりも給料は良くなるそうです。まあ同世代と比べてどうか?というところは知りませんが……。

Adobeが嫌いです

動画編集に関しては、普段の趣味の延長でもあり、あわよくばこれで食っていければなーという淡い期待を持って始めたわけですが、まあそう簡単にはいかないよね、という。

特に最近はYoutube側が、ゆっくり系の動画の収益化を少しずつ規制し始めているのもあり、企業が関わる動画はほとんどが有人系(直接顔出しをする演者がいる)のものとなっています。
私のクライアント側も、その波を受けて有人系にシフトしていったわけです。

そうして大体の場合、動画編集者に発注した動画は、動画データと編集したプロジェクトデータをまとめての納品を求められることが多いです。
そうなると必然的に、誰もが使用する業界標準の動画編集ソフトに変更していかなければならないわけで。

はい。もうぶっちゃけて言ってしまうと、私はAdobeが嫌いです(笑)。

・利用コストが高い
・買い切りがなく基本的にサブスク型
・不親切なサービス体系
・ソフトそのものの扱い辛さ

兎にも角にもコストが高いです。私のように月に2〜3万程度の副業で動画編集をしている身としては、月に1万円(年ごとでも月に7000円)程度の利用料金はあまりにも痛すぎる。利益の3分の1が吹っ飛ぶなんて意味が分からん。

ソフト自体が無料、かつ商用ライセンスが年で6000円程度だったYMMと比べると12倍のコストです。
一応料金を半額程度にできる裏技のようなものはありますが、その裏技を使用することが前提であり、その方法も非常に不親切。
また裏技を知らない人は通常料金でぼったくるという公式の料金体制も気に入りません。

肝心のソフトの方も、他社の動画編集ソフトと比べて圧倒的に使いやすいかと言えばそうでもなく、コストパフォーマンスは最悪です。

……とまあ愚痴ばかりになりましたが、どうもAdobe周りのソフトは気に入らないことばかりなのに加え、有人系の動画はゆっくり系と比べて必要な編集の工数も多く、金銭面でも人件面でもコストを上げていかなければ成り立たないということがよく分かり、それが私の副業のスタイルと噛み合っていなかったわけです。

「世界」と「セカイ」

アルバイトで食い扶持を得ながら、私は様々な趣味に没頭しました。

ゲームしてみたり、詩を書いてみたり、作詞してみたり、音楽を作ってみたり、動画を作ってみたり、合成音声で遊んでみたり……。
現実世界を生きる途中の箸休めとしてではなく、それら趣味こそが私の現実であり、私の「世界」であり、私の生き方であると、そう思い込んでこれまでやってきました。

ですが実際は、それらは土台である「世界」の上でのみ成り立つ活動。私が「世界」だと思っていたものは、私個人が勝手に作り出した「セカイ」でしかなかったのです。

中には「セカイ」と「世界」を繋げて(つまりお金を稼いで)上手くやっている人もいるでしょうが、私はそれらを、完全に独立した別個のものとして扱っていたために、そういう賢い立ち回りをすることはできませんでした。

私は現実が嫌いです。「世界」が嫌いです。だから、好きなものと嫌いなものを繋げて一つにする、というやり方に、ある種の嫌悪感、気持ち悪さを感じていました。

現実は非情なものです。いくら現実が嫌いだと言って逃避しても、私達は現実を生きることを強要されます。「セカイ」での安らぎを得るためには、まず「世界」での生存を求められます

「セカイ」が「世界」に限りなく近づくことはできても、「セカイ」が「世界」に取って代わることはできないのです。

どうしてもっと早く気付かなかったのでしょうね。

残ったもの 、足りなかったもの

これまでの私の活動は一体何だったのだろうと、しばらく考えていました。 

「セカイ」での活動を通じて私が手に入れたものは、その場限りの満足感と、何かをしてやったというある種の優越感と、作品を観てくださった人々からの感謝の意、そしてそのような行動をした私自身の「思い出」なのだろうと思います。
つまりそれらを「世界」における何らかの形や成果に昇華することはできなかった、ということです。

勿論私の作品を楽しみにしている方もいらっしゃるでしょうし、そういう意味では自分以外の「世界」に干渉していると言えなくもないのですが、少なくとも自分の認知できる範囲で、明確に「世界」に変化をもたらす何かを得ることはできなかったように思います。

要は「世界」を嫌って避けていた故に「世界」は何も応えてくれなかったという、本当に至極当たり前の結果だけが残りました。

交渉力、という言葉があります。

相手と駆け引きを行い、最終的に妥協点を見つけて折り合いをつける力のことです。それは人に限らず、全てのもの、より大きく抽象的な存在にも必要なのだろうと、そう仮定して考えてみます。

私は、現実世界との交渉の末、アルバイトで食い扶持を得るという「折り合い」をつけました。

ただそれは、交渉というよりも折衝のようなものでした。嫌いな相手と、仕方がないから妥協してやる、という、自己本位の上から目線のものです。自分のことを伝える努力はしませんでした。そうしてその結果に、何一つ満足していませんでした。

現実を見つめ、交渉のテーブルに着くことを恐れています。それは今もそうです。伝えたところで、現実を生きるという根本のルール、因果から逃れることはできないからです。

中途半端に「セカイ」を作ってしまったがために、人間よりも上の目線から(とても傲慢に)ものを言うようになってしまったために、一人の人間として「世界」に自分を伝え、交渉して折り合いをつけるという行為を、なんだかちっぽけで下らないものだと思っていたのです。

私は、ただの人間です。矮小でつまらない、ただの人間です。それを変えることはできません。

そして、それを伝えなければ始まらない。始まらないから終わらないのだという、あまりにも至極当たり前のことに、今頃になって気づいたわけで。

当サイトについて

さて、無駄に自分語りが長くなりましたが、動画編集の廃業のため、当HPの事業用ブログを削除することにします。
今年の6月にリニューアルしてからすぐの事となり申し訳ないです。

また、HPについてはすでに3年分のドメインとサーバーの契約を済ませてしまっているので、少なくとも2028年8月までは残っているかと思います。
それまでにまた趣味の動画を上げたりして更新はするかもしれませんが、現時点ではあまりやる気がないです。私自身がもう「セカイ」に飽きてしまっているので。

もしまた私の作品を目にすることがあれば、その時は「またやってるわコイツ」くらいの生暖かい目で見てやってください。

余談ですが、今年の12月末から1月上旬にかけて、海外旅行に出かける予定です。
とあるウズベク人の方と仲良くなりまして、その方が帰郷するついでに「一緒に行かね?」みたいな軽い感じで誘われたので、ちょっくら行ってこようと思います。
旅行なんてロクに行ったこともないのに、何かその場のノリでOKしちゃいました。私は私の判断基準がよく分からん。

コメント

タイトルとURLをコピーしました