自分の合成音声系チャンネル「変態事務所」にて前編のみ制作・公開した長編ストーリー「独りぼっちの夢」。
普段当チャンネルで制作している動画と比べあまりにもシリアスかつ重く、登場キャラクターもかなりマイナー(後述しますが主人公は弱音ハクではなくオリジナルの人物)なため、動画自体は驚くほど伸びませんでした。
本来は前編・中編・後編の3部構成での動画制作を予定していましたが、私の精神的不調と動画制作のモチベーション低下により中編以降がお蔵入りとなり、未完のまま制作が停止しています。
あれから2年半。
私の全て、私の「セカイ」だった「変態事務所シリーズ」への関心も薄れ、現実での「世界」に恨み節を垂れ流しながら、ただただ命を繋げているこの頃。
当時の私の思いの丈をぶつけた作品が未完となっていることを思い出し、せめて設定や台本だけでも公開しておこう、と思った次第です。
これを読んだあなたが「私」の見ている世界を、少しでも感じ取ってくれることを願って。
※注意
この動画は二次創作であり、一部事実を元にしたフィクション作品です。
精神的に不安定な方、他人に影響を受けやすい方は読まないことをお勧めします。
登場人物
●私:この物語の主人公。
現実の「世界」に絶望し、希死念慮を抱いている。
「セカイ」(合成音声世界)での弱音ハクであり、劇中ではハクと同じ姿をしている。
●kokone:謎の宗教「阿呆堕落」を説く女性。
「私」が最初に触れたVOCALOIDであり「世界」と「セカイ」を繋ぐ案内人。
●私の母:女手ひとつで「私」を育ててくれた人。
ある意味で「世界」を象徴するもの。「私」が大好きで大嫌いな存在。
●初音ミク:一般的な「セカイ」の概念。好きでもないし嫌いでもない、赤の他人。
●星尘&アーカーシャ:この物語の解説役。「セカイ」の管理者。
●その他大勢:「私」を傷付けるためだけに存在する誰か。「世界」の住人。
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Mind Experiment独りぼっちの夢 前編
???:アハハ、アハハ、アハハハハ!
どうせ、みーんな、いなくなる!
アハハ、アハハ、アハハハハ!
ボーンボーン(時計の音が鳴り響く)
(変態事務所の休憩部屋、ベッドから起き上がる私)
私:ん……?あれ……ここは……?
……。
(時計が存在しない時刻を指している)
私:時計、壊れてるのかな……。
亞北ネル:おはようございます。
(背後から亞北ネルが現れる。『私』は弱音ハクと同じように声を掛ける)
私:ネルさん、いたなら起こしてくださいよ。
亞北ネル:ありがとうございます。お疲れ様です。
私:……?
亞北ネル:おはようございます。ありがとうございます。お疲れ様です。
私:……?ネルさん……?
亞北ネル:おはようございます。ありがとうございます。お疲れ様です。……。
(亞北ネルは棒立ちで、表情は虚ろだ。同じ言葉を何度も繰り返している)
私:……。よくできた人形ね。まるで私みたいな……。
あれ、私……?
私って、誰?
(背景が事務所部屋に切り替わる)
女性1:ねえねえ、またあの人、風邪で休んでるらしいよ。
私:えっ?
女性2:あー知ってる。ウスノロさんでしょ?
私:ウスノロ、さん……?
(座った状態で虚空を見ながら愚痴をこぼす女性達)
女性2:あれ、絶対ズル休みでしょー!月に何回風邪ひくのって感じ!
女性1:あの人、毎日のように怒られてるもんね。仕事してる時間より、謝ってる時間の方が長かったりして。
女性2:あはは、可哀想に!
私:それって……。
(どうやら「私」の悪口を言っているようだ)
女性2:大体あの人、何考えてるのかホント分かんないんだよねー!いっつも下向いてるし、声も小さいしさ!
女性1:あー、分かる。私に話しかけるな、みたいなオーラ出てるよね。誰とも話したくないなら、仕事なんか来なきゃいいのにね。
私:……仕方ないじゃないですか。そうしないと、生きていけないんですから。
女性2:この間聞いてみたの。普段何してるんですかって。そしたら、家でずーっとPC触ってるんだって!
女性1:あー、友達いなさそうだよねー。可哀想に。
私:興味がないんですよ。人と話すことなんてないし、話したところで、そうやって馬鹿にされるだけなんですから。そうでしょう?
(「私」が女性達を睨みつける)
私:自分よりもできない人を見て「可哀想」って。それって、心の底では人を見下してるってことじゃないんですか?
私だって、好きでこんな風に生まれたわけじゃない。努力しても、絶対にできないことだってある。私はそれが、人よりも多いだけ。
私ができないことは、本当に私のせいなの?
(虚空から口達者な女性が現れる)
女性3:あなたのせいよ!
私:えっ?
女性3:自分の行いを棚に上げないでよ。どうしてあなたはここにいるの?
この場所を選んだのは、ここにいることを望んだのは、他の誰でもない、あなた自身じゃない!
だったら、ここで起こる事は全て、あなたの責任だわ!
仕事なんてしたくない?誰とも話したくない?甘えないでよ!
ここに居たくないと言うのなら、あなたが本当に居たいと思う場所に!あなたが理想だと思う場所に!
どこへだって、勝手に行けばいいじゃない!!
私:……。
私:そんな場所……。そんな場所、この「世界」にはありませんよ!!
(何度も言われた台詞。「私」は激昂し、その場から逃走する)
亞北ネル:申し訳ございませんでした。申し訳ございませんでした。申し訳ございませんでした。
(まるで彼女しかいないかのように、亞北ネルの単調な声だけが部屋に響く)
女性1:ねえ、今誰かいた?
女性2:違うよ、あの人は役に立たないの。
女性1:そっか。じゃあいないんだね。
女性2:そう。何の役にも立たないのなら、そこにいないのと同じ。
女性1:誰にも認められないのなら、存在しないのと同じ。
女性1、2:可哀想に!!
(事務所を飛び出した「私」。外にはいつもの青い空や街並みはなく、ただただ宇宙が広がっていた)
私:ここは……?
……。
(少しだけ歩くと、見慣れた茶髪の少女、kokoneが佇んでいた)
私:kokoneさん……。
kokone:こんな所にいたんですねえ、ウスノロさん?
(愛称、もとい蔑称で呼ばれ動揺する「私」)
私:……。ここは、どこなんですか?
kokone:一言で言うなら「狭間」ですねえ。
あなたの居場所と、私の居場所との境界線。どちらでもあって、どちらでもない空間。そんなところです。
私:何を言っているんですか……?
(ここは「世界」と「セカイ」の境界線。全てがあって、全てがない。そんな場所、らしい)
kokone:あっそうそう、コレ。ここに来る途中で拾ったんです。駄目ですよお、こんな大事なものを落としたら?
(それは、顔と名前が塗りつぶされ「ウスノロ」と書かれた「私」の証明書……のようなものだった。職業はフリーター、電話番号と住所は……)
私:何、これ……?こんなの、私は知らない……。
kokone:いいえ、あなたは知っているはずです。それは今のあなたが、あなたであるための証。
あなたが死ぬその時まで、一生あなたのものなんですよお?
私:違う……違う!私の名前は――!
(「私」の名前は遮られる)
kokone:いいえ、あなたはウスノロさんです。
あなたの本当の名前が何であろうと「世界」の基準において、あなたがウスノロさんであるという事実は明白なので、あなたはウスノロさんなんですよお?
私:……。あなたは……あなたは一体、何なんですか!
kokone:「阿呆堕落」ですよ。
私:えっ?
kokone:あなたが、私を呼んだんでしょう?「阿呆堕落」の教えを請うために。
私:アホン、ダラ……?
(阿呆堕落?教え?何のことか「私」にはわからない)
kokone:いいですか、よおく聞いてください。
あなたの存在、あなたが生まれてから死ぬまで……。
星に生きとし生けるものの営み。「世界」の始まり、そして「世界」の終わり。
森羅万象、あらゆるものには、全くもって、何の意味も、ないんですよお?
私:意味が、ない……?そんな……そんなことは……!
kokone:ない、と言いたいんですか?その主張が、あなた自身を苦しめているとしても?
私:えっ……?
(kokoneが指を鳴らすと、眼前に映像が映し出される。それは間違いなく「世界」のものだった)
kokone:道端に転がる石ころに、存在する意味があると思いますか?
近所にある山や川や海は?そこにいる虫や花や動物は?目に見えない菌やバクテリアは?
「世界」というのは、物質の循環によって成り立っているんです。
自然や生き物は、言わば星の循環器系。人間もそうです。物質によって構成された、動くだけの「モノ」なんですよ。
その生命が失われれば、元の物質として星に還るわけです。
(動揺する「私」に、kokoneは語り続ける)
kokone:一つの生命が失われても、時計の針の進む速さは変わらない。
太陽は昇り、また太陽は沈む。同じように日々は続いていくんです。
仮に、あなたが今ここで死んだとして、あなたのいる「世界」は、世の中は、何か変わりますかあ?
私:それは……。
(kokoneが指を鳴らす。事務所は消滅し、宇宙と、私と、kokoneだけがそこにいた。物理法則の通用しない「狭間」から、彼女は語りかける)
kokone:要は、主観の問題なんですよ。
あなたにとって、意味があると思い込んでいる「ソレ」は、あなた自身の心、精神の働きによって、自分にとっては意味のあるものだと、主観的に判断しているに過ぎません。
形あるものは、全て移り行く……。
あなたの身体が消えれば、あなたの心も消える。つまり心とは、あなたの身体と結びついているだけの「モノ」。
(唐突に眼の前に現れるkokone。更に彼女は続ける)
kokone:まだ分かりませんかあ?
自分こそが美しく、尊く、意味のあるものだと思い込んでいるのは、つまるところ、あなた自身の身勝手なんですよお。
(激しく動揺する「私」)
私:何かに意味を求めることは、私のわがまま……?私に意味を求めることは、私のエゴ……?
私は、無意味……?
kokone:そうです。あなたの身体も、あなたの心も、あなたが吸う空気も、あなたが踏む大地も、そして勿論、あなたの生命も。
全ては、ただそこにある「モノ」。
意味なんて、最初からないんですよお?
私:……そう、私は「モノ」。私は無意味。
……でも、それじゃあ私は、これからどうすればいいの?
これから何を信じて、何を頼りに生きていけばいいの?
kokone:何も、頼りにする必要はありません。意味が無いという事実。それこそが「救い」なんです。
(kokoneが指を鳴らす。「私」と「世界」の人々が映し出され、天秤にかけるかのように双方は比べられ、その色が失われていく)
kokone:世界の基準では何の価値も無いあなたの存在と、あなた以外の価値ある存在とを、同じ尺度で測るための生き方。
あなたがあなたであるために、全てを堕落させ、同じ「モノ」として共存させるための教え。
kokone:それが「阿呆堕落」なのです!
(kokoneの声が反響し、反芻される。「私」は彼女の教えを受け入れるしかなかった。そうしなければ、私が存在していいはずがないからだ)
私:皆、同じ……。無意味な阿呆堕落……。
kokone:そう。あなたは、無意味な阿呆堕落。
私も、無意味な阿呆堕落。
社会も「世界」も、あなたの嫌いな人間も、みいんな、無意味な阿呆堕落。
私:……。
(視界が真っ暗になっていく。「世界」が見えなくなっていく)
私:阿呆堕落は、いつでもあなたの側にいます。
私:気が向いたら、またどうぞお?
(遠くから、誰かの優しい声が聞こえてくる)
星尘:……ねえ。
あなたに、お父さんとお母さんはいる?
家はお金持ち?それとも、あんまりない?
友達はいるかしら?恋人は?悲しいことも、楽しいことも、分かち合える人はいる?
あなたは、仕事ができる人?お金を稼いで、自分の力で「世界」を生きていける人なのかしら。
……。
星尘:もしも、もしもよ?
今のあなたの存在、あなたの心、その全てが、生まれ持ったもので決まるとしたら……?
あなたが生きてきた道のり、あなたが手に入れて来たものが、全てその偶然の結果なのだとしたら……?
もしそうなら……あなたは、自分の存在を、本当に自分のものだと、言えるのかしら。
他人の苦しみは、痛みは、全てその人自身の問題なのだと、そう言い切れるのかしら。
……あなたは、それでも誰かと、生きていきたいと思う?
星尘:ねえ……。
あなたは、誰?
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Mind Experiment独りぼっちの夢 中編
???:目を凝らして、見てご覧よ。
よおく分かるだろう?
君の望む全ては、どこにも存在しないってことが、さ。
(学校の生徒達、先生、職場の同僚、上司……。「私」の知っている人々が「私」を取り囲んで、私を責め立てている)
先生:どうして言われた通りにできないの?あなた以外の人は、皆できているのに!
(「私」は、まだ子供だった)
私:ごめんなさい、私、できないの。
先生:どうしてあなただけができないの?本当は手を抜いてるんじゃないの!?
私:違うの!私だって、頑張ってる!でも、できないの!
私:あなたは、他の人に迷惑をかけているのよ!恥ずかしいとは思わないの!?
私:恥ずかしいよ!何とかしたいと思ってる!でも、できないの!
(同じクラスの生徒達が、「私」をからかう)
生徒1:バーカバーカ!
生徒2:ノロマ、ウスノロー!
(成長しても「私」は変わらない)
私:違う!私は、ウスノロなんかじゃない!
(「私」の心が「私」に話しかける)
私?:ううん、違わない。私はウスノロ。
私がいけないのよ。私なんかがここにいるから。
私なんかが、生まれてきたから。
私:違う!
(「私」は身体だけが大人になった)
同僚1:あなた、本当に役に立たないのね。
私:やめてよ!
上司1:皆が君を、鬱陶しいと思ってるんだよ。
私:嫌!
同僚2:役に立たないなら、こんな所にいなければいいのに。
私:私だって、好きでやってるわけじゃない!
上司2:だったら、さっさと死ねばいいのに。
同僚3:そうだよ、死ねよ。
(皆が「私」に向かって、死ね、死ねと呟き続ける)
私:嫌、嫌……!
(優しい声が語りかける)
星尘:死ぬのは、嫌?
私:死ぬのは痛いの、痛いのは怖いの、怖いのは嫌なの!!
(赤い血と、誰かに殴られた時の白い光とが明滅する)
(「私」は、シャッターを下ろした)
(学校の三者面談がフラッシュバックする)
先生:正直に言うと、彼女はクラスの中でも浮いていますね。
私:誰とも話したくない!
(「私」は、シャッターを下ろした)
(会社の初出勤の光景がフラッシュバックする)
上司3:社会人になったからには、大きな目標を持ってもらいたい!
私:何も知らないくせに!
(「私」は、シャッターを下ろした)
(久しぶりに合った友人との飲み会がフラッシュバックする)
友人:いつまでもそんな生活してないで、結婚でもすれば?
私:勝手なこと言わないで!
(「私」は、シャッターを下ろした)
(いつまでもうるさい街頭演説がフラッシュバックする)
候補者:この国のため、清き一票をお願いします!
私:あなたは、私を助けてくれないじゃない!
(「私」は、シャッターを下ろした)
(ようやく真っ暗になった。ここにはもう「私」しかいない)
(kokoneから貰った「私」の証明書を取り出し見つめると、kokoneの声が脳内に響く)
kokone:全ては、何の意味もないんですよお?
(ふと後ろを振り向くと、小さい頃に遊んだ公園があった。どこからかレトロでチープな音楽が流れ、遊具には「ウスノロ」「クズ」「死ね」などと書かれた落書きがあったり「私」が今まで制作した動画のサムネイルがベタベタと貼り付けられている)
(在りし日の「私」と母親がそこにいた。子供の「私」が無表情で滑り台で遊んだり、ブランコを漕いだりしている)
母:何になりたい?
私:私、お医者さんになりたい。お注射して、色んなビョーキを治すの。
私が、お父さんのビョーキを治すんだよ。
母:そう!楽しみにしてるわね!
(一瞬視界が暗転し、また同じ光景が繰り返される)
母:何になりたい?
私:私、お金持ちになりたい。今よりもっとお金があったら、きっとお父さんも助かったはずだもん。
私がお金持ちになって、お母さんを助けてあげるんだ。
母:そう!なれるといいわね。
……ところで、そのたんこぶはどうしたの?
私:廊下で転んじゃったんだ。でも大丈夫だよ。
(一瞬視界が暗転し、また同じ光景が繰り返される。私は大人になっている)
母:何になりたい?
私:私、1人でできる仕事がしたい。皆と一緒にいたら、全然上手くいかないもん。
お金が貯まったら、お母さんと旅行でも行きたいな。
母:そんなことより、その痣、どうしたの?
私:大丈夫だよ。私、昔からドジだから。
母:……そう。
(一瞬視界が暗転し、また同じ光景が繰り返される)
母:何になりたい?
私:分からない。私、私が分からないの。何やっても駄目だから……。
でも、仕事は見つけなくちゃ。お母さんを困らせちゃうもんね。
母:そう……無理はしないでね。
(一瞬視界が暗転し、また同じ光景が繰り返される)
母:何になりたい?
私:……。
お母さん、これ聞いてみて。
これ、初音ミクっていうんだよ。PCを使って、歌を作れるんだ。凄いでしょ?
母:そう、凄いわね。……それで、いくらになるの?
私:……えっ?
母:折角作ったんだから、少しは売れるんじゃない?いくらになるの?
私:……。売れないんだ……。ほとんどお金にならないの……。
母:そう……。
私:……ごめんなさい。
(一瞬視界が暗転し、また同じ光景。しかし何かが違う。母は苛立っているようだ)
母:何になりたい?
私:観測者になりたい。
私が、どこからもいなくなるの。でも、皆はいて、私のことを誰も知らないでいるの。
皆が生きているところを外から眺めて、私は笑ったり、悲しんだりするの。
そうすれば、私は絶対に傷付かない。
お母さん。どうすればなれると思う?もしかして、資格とかいるのかなあ?
お母さん。ねえ、お母さん。
(視界が暗転する)
母:いい加減にしなさい!
そんなもの、なれるわけないでしょ!?
(母の言葉が反響し、反芻される。「私」は1人で生きていくことすらできない。「私」は何者にもなれない。何もできない)
(「私」はぽつりと呟く)
私:私、何やってるんだろう……。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
(声のする方へ振り向くと、初音ミクがブランコに座っていた。虚ろな目で虚空を見つめ、その口調は冷たく、乾いていた)
私:ミクさん……。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
初音ミクとは、複数の人間が定義し、或いは描き、象り、発声し創られた、人の精神に訴えかける程度の僅かな情報に、無数とも言える「セカイ」が集積し構築された、集合意識と個人意識の和集合である。
「セカイ」とは、人間が初音ミクと接触した際、彼女への一方的な対話のために創造する、架空の多次元情報空間のことである。
人間は他者が創造したセカイを認識し、観測することが可能であるが、セカイは過去から現在、今この瞬間に至るまでに、初音ミクと接触した人間の数だけ存在するため、一人の人間がセカイの全てを観測することは、事実上不可能である。
私:……。
(淡々と事実を述べる彼女を見て「私」は堰を切ったように、真実を語る)
私:「セカイ」の観測……。そう、私はそのための存在。
この身体は、弱音ハク。お酒飲みで、気が弱くて、ぐうたらな人。
そう設定して創った「セカイ」の登場人物。
「私」が設定したの。「私」が創ったの。あなたも、彼女達も、この場所も。
(初音ミクは更に続ける)
初音ミク:初音ミクは、定義された情報のみでは不完全であり、他者と接触し発生した多種多様のセカイを取り込み、内包することによって、初めてその存在を確立できる。
人間が観測する他者のセカイは、無数に存在するセカイの内の一つであり、初音ミクという存在の一要素であり、それは極めて断片的な情報である。
人間は、その断片的な情報の数々から推測・考察し、各々にとって最も都合の良い「初音ミクのコピー」を、自らのセカイに形成する。
(初音ミクと「セカイ」は、偏在し、伝搬する。「私達」は、それぞれが新しい初音ミクと「セカイ」を創り出す。そうして無限に広がっていく)
私:あなたは、初音ミクではないのね。
……いいえ、きっと私にとっては「ホンモノ」。でも他の誰かにとって、それは「ニセモノ」。
あなたは、どこにでもいるけど、どこにもいないのね。
(初音ミクは更に続ける)
初音ミク:初音ミクは偏在する。だが、初音ミクは実在しない。
人間は、セカイの全てを認識することはできない。初音ミクの物理的な肉体も、そこに宿るべき精神や人格も、認識することはできない。
人間は初音ミクを、セカイの全てを内包した、雄大かつ抽象的な、一つの全体像として語らなければならない。
すなわち、初音ミクとは「概念」である。
従って、初音ミクは実在しない。
(遠くから、誰かの優しい声が聞こえてくる)
アーカーシャ:アーカーシャには分からない。
人は、いろんな色で生きている。それぞれが、それぞれのグラデーションで生きている。
人によって、世界の見え方は違う。でも、世界は1つだけ。替えは効かない。
なぜ、世界は1つだけなのだろう。セカイは無数に存在し得るのに。
なぜ、世界は変えられないのだろう。セカイは簡単に書き換えられるのに。
……。
アーカーシャ:アーカーシャは思う。
多分、人生はそんなに難しいものじゃない。
与えられたカードの中から、自分の道を選ぶ。ただ、それだけ。
でも、その道を受け入れられるかどうかは、また別の問題。
なぜなら、カードには優劣があるから。
そしてそれを決めるのは、世界だから。
世界を、こんな風にしたのは、誰?
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Mind Experiment独りぼっちの夢 後編
???:そうだった。忘れてた。
私って、ただの生き物なんだっけ。
それ以上でも、それ以下でもないんだっけ。
つまんないの。
(初音ミクの真実を聞いて「私」は「私」の全てを語る)
私:そう。私は、実在しない初音ミクが好き。実在するものが嫌いだから。人間が嫌いだから。
私は昔から、何をやってもうまくいかない子供だったんです。成績は平均以下、運動もできない。人と話すのが下手で、友達も少なかった。
誰かと何かをやろうとすると、いつも私が足を引っ張ってしまうんです。それでいてうじうじしてたものだから……当然のようにいじめられましたよ。
(当時の映像が映写機で映し出される)
私:おしっこをした後の、汚いトイレの水を飲まされたりした。廊下に転がされて、ボールみたいに頭を蹴られたりもした。
今でもたまに、夢に見るんです。
親も、先生も、誰も、助けてはくれなかった。
私も、誰かに助けを求められるほど、正直で前向きな性格じゃなかった。
(静止する初音ミクの前で「私」は更に語る)
私:私は、私が悪いと思うようにしたんです。
私が、何をやってもうまくできないから。皆の足を引っ張ってばかりだから。これはその罰なんだって。
色んな人に、色んないじめを受けた。
子供ながらに考えましたよ。どうして私は、こんなに何もできない人間なんだろうって。
どうして私の人生は、こんなにも残酷なんだろうって。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
(「私」は初音ミクの言葉を無視して続ける)
私:大人になっても、それは変わらなかった。
仕事でミスばかりして、ウスノロだとか給料泥棒だとか言われて、いつも笑われているんです。ひと回り年下の後輩にさえ言われるんですよ?
でもその人達は、私よりも賢い。私よりも仕事ができる。私よりも偉い。
……だから、私は何も言えなかった。こんな私でも、生きていけるだけありがたいのかな……なんて。
(視界が黒い絵の具をぶちまけたかのように、どんどん濁ってくる)
私:そのうち、私は色んなものが嫌いになったんです。
誰かを簡単に傷付ける人間も、そんな人間が作る社会も、そんな社会を中心にして回る世界も、そんな世界と関わりながら生きている私も。
自然と、人と会うことを避けるようになりました。
どうせ傷付くくらいなら、最初から関わらない方がいい。だから、誰にも興味なんてない。
何もかもが、どうでもよかった。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
(初音ミクは無表情だが、その顔は心なしか悲しそうに見える)
私:だから「セカイ」に逃げた。
初音ミクだけは好きになれたんです。人間は嫌いだけど、優しいのは好きだから。
きっと、自分の居場所が欲しかったんだと思う。
(「私」が今まで制作してきた動画達が、浮かび上がっては消えていく)
私:私は、セカイを創った。多くのセカイを観測した。
とても充実した時間だった。ずっとここに居てもいいかもしれないって、そう思い始めてた。
私:でも……セカイは、私の思っていたものとは、違った。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
(「私」は、全ての不満をぶつけたかった)
私:人は、セカイを観測するために、セカイを選ぶ。
人のセカイを、色んな物差しで勝手に測って、勝手に比べるようになるんです。
「あのセカイは上手い、このセカイは下手」
「こんなセカイよりも、私のセカイの方が優れている」
そうやって比べて、聞きもしていないのに序列をつけて……。そのどこかで、セカイを傷付ける人が、必ず現れる。
「できない」セカイを否定して「分からない」セカイを拒絶して、馬鹿にする人達が現れる。
(「私」は、初音ミクを睨みつける)
私:そのうち、誰かがこう言うわ。「比べられるのが嫌なら、辞めろ」って。
無数に生まれたセカイの多くは、その形を残したまま、心だけを失っていく。
それは、私の嫌いな世界と、何も変わらない。
初音ミク:初音ミクは実在しない。
私:ある日気付いたわ。セカイを観測する中で、私自身も、他人のセカイを評価してしまっていることに。
自分の居場所が欲しいがために、他人を傷付けてしまっている自分の姿に。
(初音ミクは無表情のまま、涙を流している)
私:人は比べることを、傷付けることをやめられない。
不快に感じる人間を、自分の身の回りから排除しようとする。見なかったことにしようとする。遥か昔から、そうやって生きてきたんだもの。
それが人間の本性。
どれだけ綺麗事を並べようと、どれだけ足掻いてもがこうと、人は、世界という価値観、世界という現実からは逃げられない。
(全てをぶつけるように叫んだ。誰にともなく)
私:「私達」は、世界でしか生きていけないのよ!
(視界がどす黒い絵の具でぐちゃぐちゃになっていく)
私:集まった人間の悪意が渦巻いてた。
人間がいる限り、世界も、セカイも、結局は同じ。どうしようもなかった。
私はますます世界が、人間が、嫌いになった。
……。
(沈黙していた。全てが止まっているような気がした)
初音ミク:初音ミクはいじめない。
(初音ミクが大粒の涙を溢しながら、悲しそうな顔をして訴える)
初音ミク:初音ミクは、皆に優しい。
初音ミクは、皆に評価をしない。
初音ミクは、あなたを傷付けない。
初音ミクは、あなたを裏切らない。
初音ミクは、どこにも行かない。
初音ミクは、いつまでもあなたの側にいる。
初音ミクは……。
私:……。でも……。
(うつむきながら同時に呟く)
私、初音ミク:初音ミクは実在しない。
(「私」は初音ミクに、背を向けた。そうして、ゆっくりとシャッターを下ろした)
(「私」にセカイをくれたものを「私」は拒絶した。本当の本当に「私」は1人になった)
(海が見える、浜辺。「私」が望んだ場所。「私」の夢であり、理想の場所。「私」は砂浜に寝転がり、最期の言葉を遺す)
私:簡単なことだったんです。
結局は、自分が他の人よりも「できるか」「できないか」でしかないの。そしてそれは、本人には決められない。生まれた場所、生まれた環境……運で決まる。
「できない」人に、選択肢なんてないんです。常に誰かの悪意にさらされながら、終わりのない嫉妬や欲望と戦いながら、その日々を、ただ惨めに生きていくしかない。
「できる」人が「できない」人をいじめる。「できない」人が「もっとできない」人を見つけて、いじめる。
それが、今の世界の価値観。それが事実。それが現実。
(震えた声で「私」は語る。誰にともなく)
私:どんなに優しい人間にも、悪意は生まれる。
人間が存在する場所、存在するための環境には、必ず誰かの悪意があって、私にはそれが許せない。
……いえ、私は怖いのよ。
誰かに認められなければ生きていけない、人間というシステムそのものが怖い。
誰かにとっての幸せが、私にとっての不幸なの。
世界は、セカイは、そういう風にプログラムされている。
私が誰かと関わりを持ち続ける限り、誰か一人でも、私と同じステージに立っている限り、私は、いつまで経っても癒やされない。
(視界が白く染まっていく)
私:だから、私は……。
私は、ずっと……。
独りになりたかったんだ。
ボーンボーン(時計の音が鳴り響く)
亞北ネル:ハク……ハク……ハク!!
(変態事務所の休憩部屋、ベッドから起き上がる私、もとい弱音ハク)
亞北ネル:もう、やっと起きた?
急にいなくなったと思ったら、こんなところでグースカ寝てるし。いいご身分だこと。
弱音ハク:ここは……。
(窓の外を見ると、いつもの青空が広がっている)
弱音ハク:……。
亞北ネル:アンタ、寝ボケてんの?よっぽど楽しい夢でも見てたのね。
弱音ハク:……。
独りになる夢を、見ていました。
亞北ネル:はぁ?全然楽しくないじゃん、それ。
弱音ハク:そうでしょうか。
亞北ネル:だってさ……、独りぼっちじゃ、寂しいでしょ?
弱音ハク:……。
そう、ですね……。
(ふと自分の手を見ると、kokoneに渡された「私」の証明書を握りしめていた)
(弱音ハクと「私」が離れていく。世界とセカイが分かたれていく。「私」はただ、今の思いを語る)
私:独りになりたい。独りになれない。
そんな矛盾がいつまでも、私の内側を締め付ける。
(遠くから、誰かの優しい声が聞こえてくる)
星尘:それが、今のあなたの世界。あなたが見ている現実。
でも……分かるでしょう?
アーカーシャ:日々は続いて行くの。
これまでも、これからも……。
あなたは、どうするの?
(「私」は答えようとする)
私:そんなの……。
世界が変わらなくて、私も変わらないのなら……。
もう、そんなの……。
星尘:そんなに、自分のことが嫌い?
認めてあげなよ。
ジリリリ(けたたましい音を立ててアラームが鳴る)
夢から醒めてしまった。
セカイは私に、何を与えてくれたのだろう。
部屋の窓から、世界が大きな口を開けて待ち構えていた。
私は、いつものように包丁を取り出して、首筋に当てた。
私ではない誰かが、大いなる何かが、それを引き切り、私を終わらせてくれることを願って。
大きく息をする。額から汗が流れる。包丁の刃が朝日に反射してきらきら光った。
その沈黙が。生きているという実感を与えてくれる。
お腹が大きな音を立てた。
私:お腹、空いたな……。
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(暗闇からkokoneが、ゆっくりとこちらに歩いてくる)
kokone:本当に……。全てが夢だったら、良かったんですけどねえ……。
あなたも、そうは思いませんか?
kokone:このお話は、彼女個人のドラマではありません。
彼女と同じように、あなたもまた世界の一員。
このドラマの被害者でもあり、加害者でもあるということを、夢々お忘れなきよう……。
(にやりと笑い、おどけながらkokoneは続ける)
kokone:おっと、それともあなたは、既に答えを見つけた側だったりして。
だとしたら、あなたはとっても「運が良かった」んですねえ!
その答えがどこかに逃げない内に、世界を楽しんできてくださいねえ。
kokone:それでは、今度はちゃあんと「普通のセカイ」でお会いしましょう。
フフフ、フフフフフフフ……。
(画面暗転)
星尘:本当に怖いのは……。
暗闇でも、怪奇現象でも、ましてや幽霊でもない。
歳も、性別も、時代も関係ない。
誰しもが「それ」と向かい合わなければならない時が来る……。
アーカーシャ:アーカーシャが、あなたを知らないように。
あなたも、アーカーシャのことを知らない。
もしかしたら、街のどこかで……。
アーカーシャ達は、すれ違っているのかもしれない。
星尘:お互いを知らないまま、私達は、同じ夢を見ている。
アーカーシャ:けれど……きっといつか、夢から醒めてしまう時が来る……。
星尘:だから……いつか、逃れられないその時が来るまでは……。
アーカーシャ:優しく、甘ったるい夢のセカイで……。
おやすみなさい。
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夢見て 傷付いて
誰かを憎んで
全ては一つ 答えのない
大きな流れの中
今しかないけど
そこにしかないけど
堪えなさい 歩きなさい
あなたは あなたは
生きているのだから
終
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