「RED COOL」2016/12/9

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Dream

「いらっしゃ……お、来たね」

 以前にも一度、夢の中で来たことがある場所だった。懐かしい匂いのする、名前の知らない雑貨屋さん。そもそもお客さんが来るかどうかも定かではないのに、私はここでアルバイトを始めたらしい。

 店はそんなに広くはない。近所にあるコンビニよりもよほど狭く、その空間の中に日用品やら筆記具やら子供のおもちゃやら、腐らないものなら引っ掻き回せば何でも出てきそうな、底の見えない異次元のような独特の雰囲気を漂わせていた。ここで長い間勤めている店員二人も、全ての商品を把握しているわけではないらしい。

 一人は背の高い、スラッとした長身の女性。一見して歳は30代だろうか。大衆に媚びを売らない、何の華やかさもなく、しかし快活であり、それでいて妙に魅力的でそこばかりを見つめてしまう、タイトなジーンズを履いていた。なぜか実年齢はもっと高いが、流麗な言葉遣いと息継ぎのタイミング、そこから自然と湧き出す妖麗な雰囲気が、彼女を若く見せているのだろう……ということを直感的に感じ取った。

 もう一人は近所によくいるパートのおばちゃんのような、高年の女性。先程の長身の女性をフランス的とするなら、こちらは身なりも顔つきも日本人的であった。服装は中性的な、曖昧でよくわからないものだった。レジ横の小さな椅子に座り、帳簿とにらめっこをしながら、電卓を片手にものすごいスピードで計算をしている。

「それじゃ、早速今から頑張ってもらうからね」と長身の女性が言う。私はその前に買いたいものがあると言って、大量のノートやはがきが雑多に積まれてある一角から、なぜか履歴書(3枚入り)を引っ張り出し購入した。

「面倒だから会計は自分でやってくれ」とおばちゃんが言う。仕方がないのでバーコードを打つと、86円と表示された。財布の中には千円札しかないので、頭の中で軽くお釣りを計算しようとした瞬間に「914円」と言われる。この間1秒である。私はまだ財布の中から千円札を出してすらいない。「計算がおそすぎるよ、まだまだだね」と言われたが、それ以前の問題であるような気もする。そもそも働きだしてすらいないのにまだまだとはどういう意味なのだろうか。

 近くにいた長身の女性がいつの間にかどこかにいなくなってしまったので、店内の全体を軽く見渡してみる。すぼまった通路になっている店の入口付近から、いきなり四角形の店内空間が広がっている。レジと受付は入り口と四角形との継ぎ目部分くらいに壁に沿うように作られている。その壁沿いにさらに奥へ目を進ませると、白地に様々な色の絵の具をぶちまけたような壁の模様と同化するように塗装された扉がある。女性はその内側から扉を開けて出てきた。

 この部屋は何なのかと訊くと、彼女はニコリと笑って「私達が守らなければいけないところよ」と言った。扉の前まで来てみると、上部には横長の看板がかけられている。どこかの街の風景写真の上に、赤色のゴシック体で「RED COOL」と書かれていた。随分と古い看板らしく、その文字はかなりかすれており、他にも小さな文字が書かれていたようだが読めなかった。

 思い切って扉を開けた。中にあったのは、ごくごく普通の、マンションの一角のような部屋だった。六畳くらいの空間の向かって右側に、横長のやや大きな窓があり、正面には机があった。見るからに古そうな書物が机の上に散乱したり、端の小さな本立てに数冊傾いて立てかけられている。筆記具らしきものや引き出しは見当たらなかった。

 窓の下の壁部分には、これまた横長の大きな看板がある。扉の前のものと同じ大きさのもので、同じように「RED COOL」と書かれていたが、写っていたのは街の風景ではなく、一人の男性だった。自動車のタイヤを幾つか積み重ねて椅子代わりにし、また立てたタイヤに両腕を預けて傾斜姿勢をとっている。カウボーイのようなつばのある薄肌色の帽子をかぶり、白シャツに紺色のジーンズといったいでたちだ。こちらへ向けて、すっかりすすけてしまった屈託のない笑顔を向けている。私は、この人が実は自分の父なのではないかと思い始めた。

 店内に戻ってきた私は、長身の女性にあの写真の人物の素性を訪ねた。彼女いわく、彼女の父が昔お世話になった旧友で、昔ここで店を構えていたらしい。どんな店かは訊かなかったが、タイヤ販売か車のパーツ販売かそのあたりだろうなと思った。

 彼はまた、昔は音楽番組を制作していたらしい。あまり公には出ないアーティストの楽曲PVを集め、それをただただ流すだけの30分番組。番組名は「RED COOL」であり、店の名前も同じだったそうだ。それらの思い出を守るために、あの部屋と二つの看板は、当時の状態のまま残してあるのだという。

 ここまで話を聞いた私は、先程の写真に写っていた人物が父であることを、直感的に確信した。それを告げると、やっぱりそうなのねと彼女は頷く。私が以前ここに来た時、私と彼女は軽く挨拶をした程度だったが、その時点で何となくわかっていたのだと彼女は言う。

「これで、君もここにいる理由ができたね」と、彼女は優しい笑みを浮かべた。

Real

 父と、長い間会っていない。最後に会ったのは小学校4年生位の時だったろうか。つい最近になって母と連絡を取るようになり、他の兄弟とも顔を合わせたりしているらしい。機会があればあなたも会ってみたら、と母は言う。正直なところ、会いたくないというのが本音だ。私の記憶が正しければ、私の父が写真のような格好をしていた記憶はないし、またもっと太っていたように思う。

 人間はとことんまでクズなのだろう。誰かの悪口をいうことは自らの醜態を晒すのと同じことだ。学校のいじめには悪魔のような子供が常に関わっている。その辺に唾を吐き捨てる老年の男は舌打ちをする。誰にも優しく話しかけない。そんな空間に長い間いるから、クズがクズを呼んで仲良くクズかごに入っていくのだろう。

 姉が時々、無表情で他人を見つめる時があるという。数年前まではそんなことは全く無かったのに、普段はくだらない話でヘラヘラ笑っているのが、最近になってそういう場面が出てきたので、気になって注意していると母が言う。メンソールの濃い、細めの煙草をくゆらせながら、他人の一挙一動を無表情でくまなく凝視する。その行動に狂気の伴っていることを、姉の知り合いは気付かないのだろうか。

 汚い言葉を聞き続けていると、やがて自分も汚い言葉ばかりを使うようになる。それと同じように、汚い行動を真似し、煙草を吹かし、人を見る目は無表情で常に相手を見下し、気になることがあれば舌打ちをし、そのうちシワとシミが増えて、醜い人間になってしまうのだろうか。果たしてそれを自分と呼べるのだろうか。