瞬間の詩 71~80

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私自身最も愚かしいと思うのは、人に作品を見て貰いたいと思いながらも、それ以外の自分のことについて、一切を見せたがらないところにあります。それはまるでトカゲの尻尾のようで、危なくなったらいつでも切り離して逃げおおせられるような、卑怯で意地汚く、だけどどうしようもない性でもあります。


最近、私の中で太陽と月が入れ替わった。さんさんと広がる青空に月が居座り、街の明かりが灯る頃に太陽が燃え上がるのである。朝に寝て夜に起きる。私はこれから眠るのだ。
セミがお休み前に一つ、と言わん限りに大きな声で鳴く。世界は動き始める。私は今日と明日との境界線を行き来する旅人だ。


ひとりぼっちは美しい。薄い雲の膜を突き破って、今日に会いに行こう。


うちの猫が風邪をひいた。背中の芯が変なふうに曲がって、何だか違うところを向いているようだ。
現実から引き離された声が、肥えた音の中で痩せ続けている。街角にデブが溢れている。誰もが見ている、見つめている……。

ロックが死んだ。ロックが死んだ。
戻ってくるのは顔ばかり。


私は何かを考えてますか?何も考えてはいませんか?
コップに中身は入ってますか?ひっくり返せばこぼれてきますか?
考えているようで、何も考えていない。重さだけが増していく寸胴上の何か。
その何かとは何かを考える私。何も考えない私。ひっくり返してもこぼれてこない……。


「サッカーしようぜ」
私は子供達が口にするこの言葉を聞く度に体が震え、呼吸が荒くなり、その場から立ち去りたくなる衝動に駆られます。夢に出る度に叫びながら目を覚まします。そういう人もいるのです。
笑顔を見ると孤独になる、優しさで怪我をする、そういうことだってあるのです。


敬語を知らない一人のサラリーマンがいます。夜中に騒ぎ、人を殴る一人の若者がいます。公園をタバコで汚す一人の老人がいます。
同じように、ゴミ箱を漁る一人の詩人がいます。神の存在を説く一人の作曲家がいます。声の出ない一人の歌うたいがいます。そういう人がいてもいいと思うのです。


誰にも見られないような走り方をしようと思う。それはかけっこの真似事みたいなもので、肌色に痩せた土の上で、人々のうっかり犯した間違いを追いかける遊びだ。
スカスカのよーいどんの合図を聞いて、下を向き罪を数えながら走る。いつ終わるとも知れない道で、時間を気にしながら、僕は走る。


狂っていないと、誰が言えよう。気違いではないと、堂々と胸を張って、さも自分が被害者であるかのように、狂ってなどいないと、誰が言えよう。
道端で、学校で、近所のコンビニで、わめき散らす老年が加害者であると、どんな理由を持って言えよう。
我々は気違いだ。ひとりひとりが気違いなのだ。


泣きたいとおもって泣くわけです
食おうとおもって食うわけです
ヤりたいとおもってヤるわけです
クソしたいとおもってクソをします
そうして生きたいとおもって生きています

私たち みいんなおサルさんです