LとSとの論争――作詞のあり方について

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 こんにちは、玄川静夢です。新年明けましておめでとうございます。

 2017年はじめての投稿は、L君S君という二人の作詞家による、対話形式のちょっとしたお話をご紹介したいと思います。

 ことの発端はL君から。彼は作詞において相当なセンスを持ち、作曲の経験もある(本人談)人なのですが、自分の作品の美点を挙げては、他者の作品を痛烈に批判するという、ちょっと困った性格の持ち主です。そんな彼が、作詞歴1年の初心者であるS君に対して、こんなことを言い始めます……。



音から冬を感じる

L「やあ、S君。ちょっと君の書いた歌詞について、言っておきたいことがあるんだが」

S「これはこれはL君。いったいどうしたい。これから論争でも始めるつもりかい」

L「まあそんなところさ。僕は君の歌詞がいちいち気に食わないのでね」

L、とある歌詞募集曲への、Sの応募歌詞に指を差す――
(歌詞募集要項には「CDとして発表予定、ストーリーものはNG」と書かれている。募集者が以前制作した楽曲複数がCDに入る予定であり、発表は春。その内の曲の一つに、Lが作詞を行ったものもある)

L「この歌詞なんだがね、言いたいことが二つある。まず第一に、君が書いた歌詞は恋愛、それも別れをテーマにしているよね。この募集曲を聴いた人なら誰もが僕の意見に同意すると思うのだが、このピアノで始まる叙情的なイントロの部分、これは『冬』をイメージしたものだ。透明でカラッとした季節感を想起させるものだ。決して『恋愛』を表現しようとしているわけじゃない。つまり君の歌詞はそもそも根底から破綻している

S、Lの意見は明らかに個人的な見解であると考える。

L「第二に、歌い始まりの歌詞についてなんだが、君の歌詞は音数が『3,3,4,3,5』というふうに始まる。これは完全な間違いで、最初の音数は3音ではなく2音、つまり『2,4,4,3,5』であるべきなんだ。よく耳を凝らして聴いてみるといい」

L、曲のデモ音源を再生する。

S「まあそう言われると確かに『2,4,4,3,5』もしっくり来るね」

L『も』じゃないよ。これしかないんだ。『3,3,4,3,5』なんていう、奇数の多い歌謡曲じみたリズムは、この曲に似合わない」

S「さっきの『冬』についてだけど、確かこの曲の発表予定時期は春だ。それに僕の記憶が正しければ、L君が以前書いた歌詞、あれも『冬』の歌ではなかったかい」

L「そうだね。その曲もまとめて、春に発表予定だ」

S「だったらそのテーマは書けないよ。この人(歌詞募集者)がどんなアルバムを作ろうとしているのかはわからないけれど、少なくとも春先に発表するアルバムに『冬』の歌が2つ以上もあるなんて、そんな愚行をよしとするとは思えない」

L「確かにそれは面白くないね。でも曲を聴いてごらんよ。曲が『冬』であると、そう言っているんだ。曲のほうがテーマを決めているんだよ。それを無視して『別れ』だなんて、とんでもない」

S、不機嫌そうな顔をしてLを見ている。

L「おっと、悪かったよ。君を怒らせるつもりは毛頭ないんだ。でも……そうだね、『冬』が2つ以上あるのは、うーむ、ちょっとおかしいかもな。でもそれなら『夜空』とかでもいい。本当はちょっと違うけれども、うまくごまかしたってかまわない」

L、他の応募者の歌詞の一つを指差す。

L「ほら、この歌詞なんてまんま『夜空』がテーマだ。字脚がおかしかったり、音に合っていなかったり問題点は色々あるが、テーマに関してはこの人が一番近いものを書いている」

S「なぜ『冬』に近いものが『夜空』になるんだい」

L「曲のメロディだよ。Aメロはきれいな景色や空気感が感じられるし、Bメロのこのつなぎ方、これは夢や希望を表している。これらから連想される『冬』のキーワードと言えば『夜空』だ」

S「ちょっと待ってくれよ」

S、曲のラスサビからアウトロまでを再生する。

S「君の言うとおり、この曲のしっとりと透明感のあるイントロは『冬』かもしれない。でも2番以降、ラスサビからアウトロまでの流れは明らかに違う。具体的な知識がないから論理的には説明できないけれど「花のある」感じだ。華やかではないが、ほんのりと明るい、そんな印象を受ける。だとすればこの部分は冬』から『春』への移り変わりであると、そう捉えることはできないかい?」

L「それはないね。この曲全体から冷涼感を感じる。途中で季節が変わることなんてありえないよ。間違いなくこの曲は『冬』、もしくは『冬』に類するものだ」

S「……」

L「……」

双方、しばしの沈黙。

いのちのない曲

S「ところでL君」

L「うん、なんだい?」

S「歌詞募集曲の中には、曲そのものに具体的なイメージを提示していないものもあるよね」

L「VOCALOID楽曲なんかだとよく見るな。どうして急に?」

S「本来なら作曲者が曲を完成させている時点で、もしくは歌い手側が決まった時点で、楽曲そのものに対するイメージというのは固まってなきゃあいけないと思うんだ。それを歌詞の募集側、つまり作曲者やプロデューサーが提示し、応募者はそれに合わせるのが『当たり前』だと思うんだよ」

L「ほうほう」

S「で、それをあえて提示しない理由とは何なのか……少し考えてみたんだ。まず一つ目は、その曲を聴いただけで、募集側の曲に対するイメージを明確に汲み取ってくれる作詞者を探している。二つ目は、ある程度募集側のイメージに近いものであれば、多少ズレていても問題はないと考えている。三つ目は、募集側が想定していない、曲と歌詞との新しい可能性を探している」

L「……」

S「要するに、イメージを提示しない募集者というのは『自分にとって体のいい作詞家を探しています』という看板を引っさげながら堂々と募集を行っている、言っちゃあ悪いがお馬鹿さんだと思うんだが、どうだい」

L「確かにそれは一理あるね。作曲者自身が『自分が何の曲を作っているのかがわからない』という場合もある。わからないからとりあえず募集して、良さげなものの中から適当にハマったものを選ぶ。君の言う、イメージを提示しない理由の三つ目に当てはまるが……この場合は確かに問題だ」

L、少し大げさに咳払いをする。

L「でも、それ以外はちょっと僕の意見とはズレてるかな」

S「へえ、そりゃまた面白そうだね」

L「さっきの曲に話を戻すけどね、この曲はメロディやコード進行の具合から考えて、明らかに『冬』を想定した曲なんだ。これは僕の主観じゃないよ。はっきり論理的に、曲が『冬』であると、そう指示しているんだ。そうして作詞家はそれを曲から読み解かなければいけない」

S、また少し怪訝な顔をする。

L「つまりだ、作曲者が『冬』だと思って曲を作り出したのであれば、それがまっとうな作曲者であれば、作詞側に『冬』の歌詞を書かせるように、曲が誘導するように作られているはずなんだ。ストーリーものがNGであるならば、ストーリーが書きたくなくなるような曲を作曲者は作ってくるべきなんだ。そういう風に作れない自分の技術を棚に上げて、『テーマは云々、こんな歌詞でお願いします』なんていうのは、基本的に作曲者側のエゴであり、曲に対する言い訳でしかないと、僕は思うんだな」

S「つまり技術が足りない、と」

L「もちろん、エッセンス程度に最低限の注文をするのはかまわないと思うよ。例えば『冬』の曲であるならば『寒い』という単語を入れて欲しい、とかね。でも『冬』の曲なのに『テーマは夏でお願いします』なんて言われても、僕は書けないよ。それは曲として既に終わっているようなものだから」

S「ということは、募集者側はテーマを決めないほうがいいと、L君は思っているんだね」

L「『決めないほうが』というよりも『伝えないほうが』って感じかな。わざわざ書かなくてもわかるよねっていう。募集者が作曲家だった場合は、そういう募集の仕方をやっている人のほうが、音楽的な能力は高いだろうなと」

S「なら、それを読み解けない応募者はどうなんだい」

L「僕から言わせれば、ただのクズさ。作曲・作詞の勉強を一からやり直してこいと言いたいね」

論理と感覚

S「さっきから話を聞いていて思ったけど、L君って妙に論理的なんだね」

L「当たり前さ。作詞は全てが感覚だなんて思っているやつは、バカかマヌケ以外にいない」

S「僕はどちらかと言うと、感覚的なんだよね。もちろん全てが、ってわけじゃないけど。曲にしても、詞にしても、絶対に何らかの形で、作り手の『主観』が入り込んでくる。そうして作り手が意識していないところで、別の『主観』から、また違った解釈が生まれてくる

S、改めてLに向き直る。

S「だからやっぱり僕は、君の言う『これは冬だ』とか『この譜割りだ』っていうのがイマイチよくわからないんだ。本当に募集者が冬をテーマにしているのかどうか、そういう譜割りで書かれたいと思っているのか、そんなの募集者本人にしかわからないんじゃないかなと。フタを開けてみないとわからないブラックボックスみたいなもので、最終的に募集者は、集まった作品の中から『主観』で良いと思った作品を選ぶ……ただそれだけの話、つまるところ『運』なんじゃないかなって思う」

L「いや、それは応募者たちの信用を裏切るやりかたであって……」

S「そうだよ。僕たちは応募者だ。主催は募集者で、最終的な決定権は募集者にある。だから応募者側はある程度募集者側に合わせないといけないところも出てくるだろうし、募集者の『主観』で決定された歌詞であるならば、それが採用されてしかるべきなんだよ」

L「違う。曲というのは、コンペというのは、もっと論理的であるべきなんだ。1+1はいくつですかという問題に対して2を出したのに、募集者側が『答えは3でした』だなんて、そんなふざけたことがあるものか」

S「その問題である1+1というのが、作った側としては1+2のつもりだったのかもしれない。もしくは君自身の『主観』が、その問題を1+1であると、勝手に定義付けしたのかもしれない

L「君は作曲の経験がないからそんなことが言えるのさ。いいかい、曲は『存在』なんだ。そこにある時点で、既にイメージが固着している。イメージというパーツが曲を形作っていると言ってもいい。そして、そのイメージが必ずしも作り手の想像したものと同じになるとは限らない。君は作り手の意志を尊重しているつもりだろうが、いくら作り手がよしとしても、固着したイメージは絶対に変えられない。曲こそが絶対なんだ

S「素晴らしい芸術論だと思うよ。でも歌は芸術じゃない、文化なんだ。人間の手によって作られ、人間によって広まる。『主観』から『主観』へ、移ろい変化していくものだよ。……仮に芸術だとしたところで、絶対なんて存在しない。作詞家と作曲家、双方どちらかが満足できない形で作り上げた歌なんて、存在しないのと同じだよ」

L「ああわかった。よくわかった。君と僕とでは決定的に、大事なところが違う。これ以上は無駄な時間を浪費するだけだね。この話はここまでにしよう」

S「どうやらそうらしい。でもためになる意見もあった。参考にさせてもらうよ」



 L君とS君のやり取り、いかがだったでしょう。かたや論理(Logic)、かたや感覚(Sence)という二つの視点から見た詞の展望は、これからどのように変化していくのでしょうか。

 実はこの二人の会話、実際にあったやり取りを、私が相当に脚色し書き上げたものです。読んでみて非常に面白かったので、このような形で紹介することにしました。所々指摘すべき点や抜けはあると思いますが、そこは実際のやり取りだったということで、大目に見てあげてください。

 どちらが正しいか?そんなことはわかりません。私だって「人間」ですから。