とある臆病者のひとりごと

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正直に話そう。僕はウソをつくのが大好きだ。誰かにホラを吹いて、知った風な口を利くのが大好きだ。誰かの言ったことがホントかどうか、疑うことが大好きだ。陰口、うわさ話、スキャンダル、なんでも調べようとする。徹底的に調べあげて、それがウソだと分かったら、その上で更にウソをつく。ウソにウソを重ねたらホントになるという話があるが、多分ウソだ。僕は息を吐くようにウソをつく。ウソをつくように息を吐く。だからなんにも怖くない。怖くないから世の中がどうなってしまおうと構いやしない。僕は平気でウソをつく。僕は平気でウソをつく。信用なんて必要なものではない。どうせ騙すのだ。騙すのだからホントの事を言ったところで仕方がない。友情?友情なんてそれ自体がウソのようなものだ。自分の心の内でさえホントだと言い切ることができないのに、なぜ他人との繋がりをホントだと言い切ることができる?愛も然り、神も然り、運命もまた然り。世の中はウソでできている。笑顔もウソ。人に優しくすることもウソ。洋服を着るのもウソ。1日3食もウソ。世界に一つだけの花もウソ。「将来電車の運転手になりたいです」もウソ。「ウソなんていけません」もウソ。ウソはウソであることに意味を求めない。それがウソだと呼ばれているから、ウソという名の仮面を被って過ごしているだけだ。「ウソは人を不幸にします」とは言うが、ウソによって人類が滅亡の危機に陥ったことはない。ウソは安全なのだ。ウソがなければホントはない。ホントがなければウソもない。僕は平気でウソをつく。僕の口から出るものの半分くらいはウソだ。残りの半分くらいはホントかもしれないが、それがホントにホントかどうかを知る余地はない。