瞬間の詩 61~70

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私は絵が下手だ。意気込んで何かを描こうと思うと、それとは違う別の何かを描いてしまう。一体どこから間違ってしまったのか、遡って手順を確認してみると、何のことはない、最初から間違っていたのだ。何かを描こうという発想そのものが間違っていたのだ。絵は息をするように描かなければならない。


狂わなければいけないんです。歯を磨いて、お茶を飲んで、それからため息をして、ごくごく自然に、一般的に、苗木に水をやって、食事をとって、それからまたため息をして、部屋の外の景色でも眺めながら、落っこちた太陽がまた登ってくるように、狂わなければいけないんです。


元来孤独な人間が会社勤めなんぞ始めると、毎日必ず3つの恐怖があるのさ。
ひとつは挨拶をするという恐怖。ひとつは突然他人から電話やFAXが来る恐怖。そしてもうひとつは、仲間から勝手に期待される恐怖だ。


落ちて行く夢を見る。地球が何者かにシェイクされて、天と地がひっくり返って、雲に落ちて行く夢を見る。
それからまた天と地がひっくり返って、湖に落ちて行く夢を見る。ところがいつまでたっても湖には飛び込めない。身体は空を切っているのに、湖はひとりでに離れていって、私の消失を拒んでいる。


遠く、遠くの景色を思いやるよりも、最初から近くにいるものをもっと愛してやりたい。壊れないように、失わないように。
こちらから急に距離を縮めるだけじゃ、相手は困惑するばかり。彼等が迷わず進むためには、少し離れているくらいが良い。信じるくらいで丁度良い。

今日も空は平和です。


苦しいから、逃げたい。悲しいから、忘れたい。
現実に腰を据えて生きる人がいる。夢と現実を行ったり来たりしながら生きる人がいる。昔よりも、境界ははっきりしている。
その境界に引かれた線を巻き取っていくように、色を混ぜ合わせるように、なぞりながら生きることはどうだろうか。


狂うというのは、本当に、自分を正当化するところから始まると思うんです。


皆は海へ行くけれど、
私は一人で海を作る。

皆は車で行くけれど、
私は部屋で座ってる。

見ている方が好きだもの、
出かけることは嫌いです。

皆は泳ぎに行くけれど、
私は静かに溺れたい。

私は一人で海を作る。
私は一人で海を作る。


足元が見えなくて、他人の靴を履き違えてしまった。もう一度自分の靴を探すのは面倒だから、自分の足を少し削ろうと思う。血を流さない程度に、程々に。ヤスリはどこにあっただろうか。自分より背の高い戸棚を開けてみた。
コップがぬるりとすべり落ち、大きな音がして、私の中で何かが終わった。


美味しいものを食べてみたり、
部屋の掃除をしてみたり、
友だちとワイワイ騒いでみたり、
誰かを好きになってみたり、
それら全てが、
生きることへの言い訳です。