瞬間の詩 11~20

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とても小さな望遠鏡を手に入れた。しかし遠くの景色は見ることができない。
仕方がないので隣の君の部屋を覗き込んでみる。鏡の前にある、君の櫛を見つけてハッとした。僕の櫛よりもずっと大きかったのだ。
君は毎晩、あの鏡の前で泣いているのだろうか?頭からつま先まで涙に濡れているのだろうか?


自分の部屋に鍵をかけても、隙間風が入り込んで、置いてある家具の位置が少しづつずれていく。
飴玉をなめ続けようと思っていても、最後には噛み砕いてしまうように、癖は中々抜けないものだ。
意味のないことと分かっていながら、本当に鍵がかかっているのかどうか、何度も確かめに行ってしまう。


螺旋階段は雨と仲がいい。2人で手の込んだ悪戯をする。登っている人が一度足を滑らせたら最後、一番下まで転がり落としてしまう。
こちらは回り道などできない。だから余計に腹が立つ。
琥珀の中に晴天を閉じ込めてやりたい。雨の日にパカっと割れば、てるてる坊主よりは効果があるかもしれない。


私にとって、観覧車とは「プチ我慢大会」である。頂上に着くまではそこからの景色を早く見たいと焦り、一度頂上を過ぎてしまえば早く別の乗り物に乗りたいと焦る。
焦燥感のない観覧車など無意味だ。絵の具のない絵画のようなものだ。
焦るからこそ、頂上にある何でもない景色を楽しむことができる。


君の涙はかぐわしい。悲しみを払い落とすその瞳から、とても素敵な匂いがする。
触れたらきっと火傷してしまうだろう。美麗な香炉のように、匂いとは熱情であるということだ。
君の牡丹は潔白でありながらも紫色であり、清流でありながらも燃えているのだ。


バニラは懐かしい匂いがする。とても甘いけれど、少しだけ昭和の匂いがする。
鉄鋼と白シャツと汗の匂いがする。僕はバニラアイスを食べる度にタイムスリップをしたような気分になる。ちょうど缶に入ったドロップスを舐める時と同じ気分さ。

アレは明治だろうって?細かいことは気にするなよ。


金魚を眺めていると、その目がイクラや数の子や柘榴の実を思い出させる。力を加えればプチッと潰れる、あの感触を思い出させる。なんとも言えない生臭さを感じて吐きそうになってしまった。
水槽の中にビーズを落とす。ゆっくりと沈んでいった。このまま時間が止まって永遠に美しくあればいいのに。


白檀の香りを絵で表現することは難しいように、時間の流れを形にすることは難しい。そう言っている間にもふわふわと過ぎていくものだから。
目に見えない感情を言葉にすることもまた難しい。何かに驚きながらも平静を保っていたり、ケラケラ笑っていながらも号泣していたりする。私とは何者だろうか。


家具とは一体ナニモノだろう。ただのモノではないことはまず間違いない。
手に触れて温かみを感じることがある。肩を預けて心の拠り所にすることだってある。今こうしてバーチャルな世界を行き来することだってできる。
つまり家具とは「存在」なのではないだろうか。ここにいるし、そこにあるのだ。


木目を見ると、心が覗かれている気がする。ミルフィーユのように折り重なって出来た縞模様が、僕の心と同調しているのかもしれない。幾重にも重ねておかないと気がすまないのだ。
紫檀で出来ているこのテーブルは薔薇の匂いがするらしいが、全くわからない。僕の天秤は「実用」に傾いているようだ。