小学校までで「死んだ」自分の話

シェアする

 こんにちは、玄川静夢です。

 仕事の行き帰りで、実家と自分の家とを行き来している状態なのですが、そこで母と、私の子供時代について長く話す機会があり、それについて色々思ったところがあったので、今回は私の子供時代の話を、つらつら記事にでもしようかなと。

 なにせ今から十年以上も昔の話ですし、私自身は忘れていましたし思い出すこともなかったのですが、母と話しながらよくよく考えてみると、そこには今の私とは別人のような、似ても似つかぬ幼い日の自分の姿があり、またその当時の自分の心は、中学校の入学式の瞬間に死んでしまったのだなと、大げさでなく思うようになりました。

子供のときは子供でした

 幼稚園くらい~小学校低学年までの私は、思ったことをすぐ口に出す実直な人間でした。見慣れないものがあればそれを注視する。とにかく気になったこと・思ったことを人に言ったり、訊いたりする。家や学校内だけでなく、例えば友達と遊びに行ったり、家族で買い物に行ったりした時も、それは変わらなかったそうです。

 例えば公園で遊んでいる時、その公園の隣を、ちょっと奇抜な格好をしたおばさんが通りかかって、私は近くにいた母に「あのおばさんなんであんなにピンク色なの?」と訊いたことがあります。母は「そんなこと口に出しちゃだめよ」と言ったそうです。他にも住宅街で浮浪者を見かけた時には「あのおじいちゃんお風呂入ってないの?」と訊いてみたり、スーパーでびっこを引いている人を見た時には「足が変なとこに曲がってるね」とその本人に言ったり(確かそのときは、ものすごく怒鳴られて泣きまくった記憶があります)、とにかく当人からすれば非常に失礼な発言を堂々としていたらしいです。

 これが朝顔を見て「なんで朝顔は朝に咲くの?」なんて可愛らしい質問なら良かったのですが、私の関心はもっぱら動き回っている人間の方に向かっていたようで、その頃の友達にもそのようなこと(主に相手の見た目や身体的特徴)を指して色々言ったものですから、一部の子やその親なんかには相当嫌われていたようでした。

とにかくクソ真面目だった小学校時代

 小学校中学年に入ると、その実直さが「大人の言うことをきちんと守る」真面目さに変わっていったようで、特に学校では規則や約束をきちんと守り、悪いと思ったことは悪いと言うという、それだけ聞くとなんだか人格者のようにも感じますが、とにかくそういう性格だったようです。

 また同時に、私は奔放な性格でもありました。それは幼稚園くらいの時のような、人に指をさして怖じ気もなくひどいことを言うといった行動にではなく、今まで全く知りえなかったものへの興味、つまり知的好奇心という形で私に現れたようで、特に理科(科学)に大いに関心を示しました。わからなかったことがわかるようになる、頭の中にすうっと染み込んでいく不思議な感覚は、他の何にも得難い経験となりました。母親に頼み込んで、当時出版されていたデアゴスティーニの「週刊そーなんだ!」を買ってもらい、家にいる時にはそればかりを読んでいました。

 そんな中で、こんなことがありました。私は同じクラスの女の子と少し仲良くなり、学校帰りに二人で帰ることになりました。その帰り道にコンビニがあって、その子はそこで食パンと、小さなパックドリンクを買いました。お母さんからのおつかいかと思った私は特に不思議に思いませんでしたが、パックドリンクに関しては自分で勝手に買ったものらしく、帰り道にチューチューとストローで飲み始めたのでした。私はそれで何だか嫌な気分になって、それまで面白い話などして和気あいあいとしていたのが馬鹿らしくなりました。

 もうすぐ家に着くかなという時に、女の子が飲み終わったパックドリンクを道端に捨てようとしたので、私は黙ってそれを取り上げて、近くにある公園のゴミ箱に捨てに行ったのでした。そうすると女の子は「真面目だからきらい」と言って、プイとそのまま自分の家に帰ってしまいました。

 今からすれば私の判断は何もおかしなところはなく、そんなことで私を嫌いになる女の子の方に非があるのは間違いないのですし、もしかしたら急にだんまりを決め込んだ私に、女の子はイライラしていたのかもしれません。とにかく当時の自分は、何かしてはいけないことをしてしまったのかと思い、かなりの間思い詰めていたように思います。女の子はその後、学校では口を利いてくれませんでした。

 形こそは違えど「客観的にもまず間違いなく正しいことをしたのに、相手からは冷たい反応が返ってきた」というような出来事を、当時の自分は何度か経験しました。

 クラスメイトが他の友達の宿題を映している様子を見て注意したらなぜか笑われたこと。欲しいおもちゃがなかった時に「売ってるお店を知っている」とおじさんに言われ、500円玉を渡したらそのまま帰ってこなかったこと。お店の中で落とし物をした友達のために、店内で夜になっても探し続けていたら、お店の人に「そんなもんもう見つからんよ」と言われ店を追い出されたこと。

 本当にくだらない、なんてことのない日常。その中で唐突にやってくる、行為に対する裏切り。私は、正しいと思ってやる自分の行いは、本当は全て間違いなのではないかという、疑心暗鬼の感情が、この時点ですでにあったのではないかと思います。

悪いことをしたら怒られる

 そんな気持ちを時々感じながらも小学校高学年まで上がり、相変わらず私は理科の教科書や「週刊そーなんだ!」ばかり読んでいたのですが、ここでもひとつ事件が起こりました。

 当時仲良くしていた友達二人が「タバコを吸おうぜ」と言い始めたのです。それが一体何を意味しているのか、その時の私でもよくわかっていました。極端に言えば犯罪です。

 当然私は「嫌だ」と思いました。しかしそれを口をだすことはしませんでした。良かれと思って行った(言った)ことは、大抵良い結果につながらないことを、当時の私はそれまでの経験から学んでいたので、嫌だな、でも言いたくないな、という気持ちになりながらも、さり気なくその意見に賛成してしまったのです。

 その友達二人からすれば、タバコを吸うというのはちょっとした好奇心のようなものだったのでしょう。大人に隠れて何かをする、背徳への憧れ、そういうものがあったのだと思います。

 私は違いました。タバコを吸うことへの興味でもなく、二人のような好奇心でもなく、ただただ自分の中の「行為に対する恐れ」が、私にコンビニでタバコを買わせ、神社の裏手でこっそりタバコの火をつける原動力となってしまっていたのでした。

「背徳ごっこ」はものの数日で結末を迎えました。とあるマンションの屋上でタバコを吸っていたら、近所の住民に見つかって騒ぎになり、それが学校の耳にも届いて、翌日は耳にタコが出来るほどにお説教を喰らいました。

 不思議と罪悪感はなく、むしろ友人二人に対して、私は開き直るように怒っていました。「だから嫌だったんだ」という言葉が、頭の中でぐるぐる回り続けていました。このときは相当に自分勝手な考え方だったなと思います。

 悪いことをすれば怒られる。それが当たり前です。ですが当時の私は、こんなふうに思ったことを覚えています。良い行いをしても嫌われたりするし、悪い行いをしても怒られるだけ。世の中は納得がいかないなと。

 しかしやはり子供ですから、そんな気持ちはものの数日できれいさっぱり忘れてしまって、私はまた以前のような、真面目な人間に戻っていったのでした。授業中に教室が騒がしくなれば筆箱をバンバンと叩いて鎮め、宿題の答案を映すためにノートを貸りようとする友人の意見をきっぱり断り、信号は必ず青になってから左右を見渡して渡り、学校に不要なもの(お菓子や小さなおもちゃなど)を持ってきている生徒を見かければ後でこっそりと先生に報告しに行く、そういう人間に戻っていきました。

中学校の入学式、「私」は死んだ

 小学校を卒業して近所の中学校へ入学することになったのですが、その入学式。私は母と一緒に学校へ向かったのですが、どうやら来る時間を間違えてしまったらしく、既に校庭には沢山の新入生たちが、先生の指示で列を作り座っているのでした。

 私は「中学生」になる高揚感と、遅刻に対するちょっとした申し訳無さに包まれながら、母の見送る中急いで校庭へと向かいました。その時、列の前方、中央に立って入学式の説明をしていたであろう先生の方が一言「遅い!」と大きな声で怒鳴りました。

 その瞬間、わずかながら私の中に残っていた子供ながらの好奇心と、「中学生」への未知なる高揚が一気に沈んでいくのがわかりました。母の目の前で先生に怒鳴られること、それは今までの人生で一度もなかった出来事で(タバコの件のときも、連絡はあったでしょうが、母が呼び出されることはありませんでした)、それは友達の目の前でうっかりおもらしをしてしまうような、汚くて、恥ずかしくて、でもどうすることもできないという、あの感じによく似ていました。

 ちょっと怒鳴られた。ただそれだけです。皆の目線を見ないようにしながら、ぎこちない動きでそうっと列に加わり、なるべく目立たないように、恥ずかしくないように、ちょこんと座りました。よくよく見わたすと、生徒たちの列は一人もはみ出すことなくきれいに整列されていました。沢山の先生がその列を取り囲み、常に睨みを効かせ、私語をする者がいないかどうか監視をしています。先生は彼ら一人ひとりを「仮○組○番の誰々」というように呼ぶのです。そこには、笑っている人が一人もいなかったのでした。

 それは今までの、奔放と規律の入り混じった自らの心に「孤独」という名の鉄の楔が深々と突き刺さった瞬間でもありました。私は突如として、この沈黙を続ける奇妙な同居人との共同生活を強いられることとなったのです。

 人間を番号だけで冷たく呼ぶ人間がいることを、私はその時初めて知りました。またものすごく不満気な、身なりは小さいくせに人を上から目線で見ているような、イライラと顔をしかめ、反発しているのにもかかわらずなぜか機械的な命令には従うという、理屈の通らない同年代の存在を初めて知りました。

 そうして、理由も根拠も、あてさえもない奔放な心は、中央に立つ先生の口から飛んでくる「ルール」の言葉と、イチニという大きな掛け声と、揃えられた足踏みによって窒息させられました。その時確かに私は、私自身の意志が力なく横たわり、ゆっくりと火葬されていくさまを眺めていました。小学校までの私の心は死んでしまったのです。

 今考えてみれば、私自身が私を深く認識するようになったのは、この一件があってから後のことなのでした。つまり私の本来の性格であった「小学生までの私」はどこかにいなくなってしまって、代わりに「中学生からの私」が本来の性格にすり替わってしまったのです。

 もしもこの一件がなければ、私はもっと別の、それも全く違う人格の人間になっていたのかもしれない……そう思うと、何だか書き残しておきたい気持ちにかられてしまったので、こっそりここに残しておきます。

 そこから先は、今でも夢に見るほどに、ひどくずさんでおぞましい、苦痛な出来事がいくつもあったのですが、それはまた別のお話。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする